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れいさん派と凪瀬さん派の意見を読んで思ったことがあります。 大まかに言うと両派は次の事を言っていると思っております。 れいさん派は、高次元における外世界は、低次元にすむ人間には認識できない。 凪瀬さん派は、低次元における異例現象を観測する事により、外世界である高次元を認識可能。 両派ともに説得力があります。 れいさん派は、低次元に住む人間の認識力を問っているので、 確かに一般人が認識する事が不可能だともいえると思います。 トーラス上に住む人間は、それが自然的法則だと考えておりますので、 例え世界の両端がループしても、「それが当たり前」であり違和感すら感じません。 それについて違和感を感じる事すらが異端と呼ばれるでしょう。 しかしながら凪瀬さん派が言っている事ももっともです。 人類が進化するに従って、天才がそれまでの常識を覆してしまいます。 昔は天動説(今も信じている人が居る)でしたが、それでも天才ガリレオが「それでも地球は回っている!」といい続けました。その結果今は地動説が有力となっております。 それで思ったのですが、両派の意見はそれぞれ成り立つのではないでしょうか? まず、れいさん派の場合、人間の技術がある前提の元進化していく技術が学習曲線を描く場合、 それは鼓動と同じであり息絶える事は無いでしょう。 次に、凪瀬さん派の場合、人類の学習曲線から外れた特異点をもたらす事になります。 それは普通の学習曲線状に存在しない出来事です。 しかし実際にこれも度々起こっているので、人類の認識と技術は生物の進化と同じで、 特異点で突然変異を起こすのではないでしょうか? これは両理論が正しくとも矛盾しておりません。 この点から導き出される答えは「人間の進化とともに外世界も変化する」なのかもしれません。
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