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2008/05/21(Wed) 10:12:43 編集(投稿者)
イエスキリスト様とか、お釈迦様とか、仏陀様とか、アインシュタイン殿とかは実のところ、 外の世界の人間が閃きを与えたり、実際に前に現れたのかもしれない。 今そんな気がしました。
私も鶏唐揚さんと同じく、外を直接認識することはできなくても、 認識できる範囲の事象から外を予測することくらいは出来ると思います。 人類が無事生存し、科学が発展していくと、いつかは科学の壁にぶち当たると思うのです。 それが仮に知力の限界でないとすれば、それは「我々の世界の仕様」だと思うのです。 ただ、それが知力の限界なのか、感覚の限界なのか、世界の限界なのかは、 どうやって考えるのかという疑問が生じてしまいますが・・・ それらの「限界(境界)判定」をはっきりする事により、外の世界の有無がわかるかもしれません。
そうそう、この宇宙はビッグバンでうまれた事になっておりますが、果たしてそれは本当なのでしょうか? 何故私が疑うのかと申しますと、「物質が拡散してしまう」という点が気にかかるのです。 物質が拡散してしまう状態で、宇宙というものが「広がる」のか甚だ疑問なのです。 宇宙が無い状態が無だとするのならば、何も無いところにビッグバンにより運ばれたり、 影響をもたらすエネルギーが広がる事になりますが、ビッグバンの大元が一定の質量を持つ星ならば、 それは限界を迎えてしまいます。それが宇宙破滅説につながるらしいのですが、 果たして宇宙ってそんな刹那的なものなのでしょうか? 仮にそうだとすれば、大いなる母である原初の星はどうやってうまれたのでしょうか? それに果たしてビッグバンは一つなのでしょうか? またビッグバンをおこした現象はどこから生まれてきたのでしょうか? これらの疑問を考えていくと、ビッグバンはあるかもしれないけど、 その下敷きになる法則・物質・エネルギーのようなものは存在するはずだと思うのです。
ちなみに、光を超えるスピードのものの件ですが、これは多次元世界のものだと考えるとありえると思うのです。 1次元は2次元の射影、2次元は3次元の射影、3次元は4次元の射影・・・とするのならば、 光も何らかの現象の射影かもしれないのです。
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